7月22日〜24日、乾物を軸に山形を旅してきました。
今まで聞いたこともない乾物を見、食べ、山形の豊かな自然、深い食文化、そしてあたたかい人情に触れる旅でした。
これから少しづつ、この旅についてブログに書いていこうと思います。
初日、山形から車を借りて、東根市六田の文四郎麩を訪れました。

工房見学の前に、まずはランチ。
店の奥にあるふ料理処「清居」で時間入れ替わりの「六田ふ懐石ごっつぉ」をいただきました。
ふ懐石の店を始めたのは30年近く前のこと。六代目文四郎さんが始めた当時は麩をコースで食べさせる店は、京都と金沢にしかなかったのだそうです。
いろいろに工夫が凝らされ、見た目も美しく、お腹もいっぱい!
料理の写真をクリックすると説明を読んでいただけます。
食事を終えて、工房にご案内いただきました。案内してくれたのは六代目社長齋藤文四郎さんの息子さんの幸信さん。別の食品会社に勤めた後、この地に戻りました。
六田には現在4軒のお麩屋さんがあります。文四郎麩はその中でも最も古い160年の歴史があり、初代が周りの人たちにつくり方を教えたことによってこの土地でお麩作りが盛んになったと言います。

なぜこの土地に麩の文化が栄えたのか
なぜここに麩の文化が栄えたのか。
当時、紅花は北前船に乗って京都にまで運ばれ、金より高い値段が付いていたといいます。そんな紅花の輪作障害を防ぐために植えられたのが小麦。羽州街道が通り、松尾芭蕉も訪れた六田は宿場町として栄え、その小麦から作った麩の料理で客をもてなしていたのだそうです。
美味しい湧き水にも恵まれ、グルテンの含有量が他の地域の麩より際立って多いのが六田麩の特徴。作られるのは車麩が中心です。新潟のものは二重三重に巻きますが、六田の車麩は沖縄のものと形が同じ。芯を巻いた後は一回巻くだけで仕上げます。





「5年前までは8軒あったんですけれどね」と斎藤さん。
乾物を使う人が少なくなると作る人も少なくなってしまいます。
私たちが食べることで食文化は未来につながっていきます。
美味しい麩の食べ方を研究、提案していかなければと「清居」を始めた六代目文四郎さん(とても素敵なおじさまで、お話を伺うのに夢中で写真を撮り忘れました!残念!)そしてユーモアも交えながら麩について熱く語ってくれる息子の幸信さん。六田の麩の文化をしっかり未来に継承していってくれる体制はできています。
東根、六田の麩。
東根といえばさくらんぼで有名な土地。
今年はもう終わってしまいましたが、さくらんぼ狩りと六田の麩懐石をセットにして楽しんでみてはいかがでしょうか。もちろん工房見学も是非お願いして。
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